政変ミャンマー、記者が見たスー・チーの虚像と素顔 東アジア「深層取材ノート」(第73回)(1/4)

アウンサンスー・チー率いるNLDは軟禁解除後も精力的に講演活動や地方への行脚を繰り返し、変わらぬ国民からの厚い支持を取り付けていました。 だからこそ、若い世代の人々ができるだけ多く、今のミャンマーを訪れて、直接現地の人に触れて欲しい。

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スーチー氏は、加害者である警察や国家を信じろといいます。

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。 少しはその勢いが衰えるかと思いきや、国民のアウンサンスー・チーに対する支持は変わらず、その活動でNLDの勢いはさらに増していく状況に危機感を抱いた国軍は、再びあの手この手でNLDの活動を妨害します。

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スーチーは外相、大統領府相、大統領報道官を兼任し、さらには「国家顧問」なるポストを新設して絶対的な権力を維持しようとしている。 「軍は民主化当初、実は最も得をした。

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(参考:「アウンサンスー・チー政権のミャンマー」永井浩 他, 明石書店、「ビルマの歴史」根本 敬, 中公新書、「ミャンマーを知るための60章」田村 克己 他, 明石書店、「ミャンマー権力闘争」藤川大樹 大橋洋一郎 角川書店). リーダーが不在のままのNLDでしたが、1990年の総選挙では圧倒的な支持を獲得。

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テインセインはもともと軍のナンバー4の立場にある大将だった人です。 それは3度にわたる国軍によるアウンサンスー・チーの軟禁が実行されたからです。

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ONO avionoji アウンサンスーチー氏の、 結婚した夫は、MI6の職員。 7.ミャンマーの歴史:2003年~2011年(民主化に向けた動き) 国際社会からの圧力と民主化に向けた動き 2003年に起こったディベーイン事件は、ミャンマー国内だけでなく海外からも強い批判を受けることになりました。 — 三井昌志 MitsuiMasashi スー・チー女史。

ミャンマーは2011年に長く続いた軍政から民政へ移り、軍出身のテインセインが大統領に就任した。 この客というのがネイウィン率いるBSPPの幹部の息子だったのです。

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6.ミャンマーの歴史:1990年~2003年(アウンサンスー・チー3度の軟禁) 1回目の軟禁(1989年~1995年) 1988年に巻き起こった学生運動はそれでも大きく国軍を動かすことになりました。

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民政後初の大統領、テインセインが党首。 というのも、アウンサン将軍はミャンマーの独立を目にすることなく、その前年に暗殺され、32歳という短い生涯を閉じることになったためです。

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・最終的には社会主義国家を目指すものの、その過程として資本主義社会を認める ・少数民族の権利も保護し、完全な民主主義の実現を目指す ・国軍は国防のみを目的として活動し、政治には介入させない 残念ながら、このどれもが挫折してしまうことになります。 そして、偶然にも祖国で一大事件が起きていることを目の当たりにしたアウンサンスー・チーはこの時、政治の表舞台に出て祖国ミャンマーの民主化運動を推し進める決意をします。 国連(UN)がジェノサイド(大量虐殺)の可能性を指摘している2017年8月の軍事弾圧の後、 約74万人のロヒンギャがミャンマーのラカイン(Rakhine)州からバングラデシュへ向かった。

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1824年から1886年まで三次に渡って起こった英緬戦争 イギリスvsミャンマー によりおよそ半世紀にわたりイギリスの支配下に置かれ、軍により鎖国状態が続きました。

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中国を頼っていたのは、欧米諸国による経済制裁で、助けてくれる国が他になかったからだ」。 もともと彼女に対して批判的な見方をしている人たちは少なくなかったが、今ほど不満が目立ってきたことはないと言える。

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そしてシャン、カレン、カチンなど人権を守られない他の少数民族、また平和と正義をもって生きるに値するすべてのビルマ人に対して。

ミャンマーの「女帝」アウンサンスーチーはなぜ嫌われるのか:世界を読み解くニュース・サロン(4/5 ページ)

国民民主連盟(NLD) アウンサンスー・チーが立ち上げた政治活動組織。

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スーチーの夫は英国人で父親は独裁者。 1962年にネイウィンが軍事クーデターを敢行してから半世紀経ってようやく動き始めた民主政権でしたが、わずか10年で再びクーデターによる軍事政権に代わってしまったミャンマー。

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この頃、アウンサンスー・チーは政治の表舞台にも出ず、政治運動も全く行っていない、一般人と同じような生活を送っています。

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宇田さんによれば、中国はインド洋に出るためのルートとして、ミャンマーにガスパイプライン、鉄道、高速道路の建設を提案した。